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薩摩 – SATSUMA –
Mondial Art (Japan)
Everyone admired and love its finely detailed art, and praised what seems its almost superhuman technique.
―――誰もが その精巧な芸術を愛し 恋焦がれた。人知を超えた技を賞賛した。
明治時代、京都で錦光山をはじめとする多くの窯元により金襴手薩摩焼が焼かれていたことは、あまり知られていません。大阪の藪明山、神戸の精巧山においても同じです。何故なら明治期の薩摩焼は国内への流通目的ではなく、ほとんどの作品が海外への輸出用に焼かれたものだからです。
「本薩摩」は、沈壽官を代表とする桃山時代より薩摩藩(現在の鹿児島県)において焼かれた陶磁器の総称です。
「京薩摩」とは、京都の錦光山・大阪の藪明山をはじめとする京都を中心に関西で焼かれた作品をさします。
西洋の人々にSATSUMAと呼ばれ愛された作品は、主には後者の京薩摩でございます。
当時、海外の人々の心を掴んだSATSUMAの魅力をお楽しみください。
伝統技術と西洋の意匠
明治期の薩摩焼の魅力はなんと言っても、その細密緻密さにあり、間違いなく世界で最も細密な絵付けが施された焼き物といえるでしょう。また金彩の輝きと鮮やかな色彩が薩摩焼の特徴です。
西洋の美意識に沿うよう趣向をこらしたフォルムには当時の流行が見られます。
日本の伝統工芸品が、西洋の意匠を追求して市場に出した作品たちは完成された文化融合の逸品。
時代背景を含めてご鑑賞いただければ幸甚です。
薩摩焼隆盛の背景
西洋の薩摩焼の隆盛において外せない要因は博覧会にあります。
幕末のパリ万国博覧会、続いて明治六年のウィーン万国博覧会で高い評価を受けたことからSATSUMAのブランド化が動き出しました。
当時の西洋はインドや中国に続く日本趣味流行の時代で、日本の装飾が注目されだした最中のこと。
まさに時代の要請を受けた工芸品と言えるでしょう。
購買層はブルジョワジーから大衆にまで広まり、その後のフランスではジャポニズムの流れの中で薩摩焼の影響を受けた陶器が次々と製作されました。
また近年(2007年)には、万博初出展140周年を記念し、フランス国立陶磁器美術館(セーヴル美術館)において「薩摩焼パリ伝統美展」が開催されました。
SATSUMAの美と技巧は150年の歳月を経た現代でも、国境を越え愛され続けているのです。
七宝 – Cloisonne Enamelware –
A new era is dawning.
The time is ripe and the wind is favourable for deepening the Japanese public’s knowledge of value of modern Enamel.
―――新たな時代の風が吹く。日本人が七宝の価値を知り、語る日が到来したのである。
七宝とは、伝統工芸技法のひとつで金属を素地にした焼物です。
エジプトから誕生した七宝の技法は、シルクロードの国々を経由して日本にも伝わりました。中国語では琺瑯(ファーラァン)と呼び、英語圏では enamel(エナメル)と呼ばれ、日本でもその用途は、菊花賞や文化勲章などやブローチ・ペンダントなどのアクセサリー類、巨大な壺まで、さまざまなシーンで使われています。
日本の近代七宝の発展は、1867年のパリ万国博覧会にあります。
1873年のウィーン万国博覧会においては新明治政府が公式に参加して七宝を展示。万博に訪れた世界の人々が繊細な技術とエキゾチックな表現に魅了され、間もなくして日本の七宝作家と作品は、海外の美術評論家達に高く評価されることになりました。
今でも世界中のコレクターがオークションで競り合う日本美術の華をご覧ください。
七宝の頂点は明治時代の作品
日本の七宝の全盛期は明治時代と評されていますが、明治時代の作品は輸出用に作られたため、名品のコレクションはほとんど海外にあります。
その理由は、近代七宝の優美で洗練された細密な表現は、わび・さびに見られる日本古来の美意識とは相容れないためでした。
結果として日本の近代七宝研究は西洋から大きく遅れをとっているのが現状です。
七宝を収蔵しているミュージアムは、国内では京都府の「清水三年坂美術館」「並河靖之七宝記念館」、愛知県の「あま市七宝焼アートヴィレッジ」と、2000年以降に開館した場所が多く、ここから七宝の価値が日本人に評価されたのは数十年前からだと言えるでしょう。
どうか一期一会の出会いを逃すことのないようお願いいたします。
わび・さびでは語れない、華麗で優美な細密工芸の粋を極めた七宝の世界。 後はあなたご自身の目でお確かめください。
金工 – Metalwork –
Show one’s genius
Master of the Late Edo and Early Meiji Ere. Their impact on the world of Japanese modern art is immeasurable.
―――幕末・明治の金工。彼らが日本の近代美術界に与えた衝撃は、計り知れない。
金工とは金属の特性である伸展性、溶解性を利用して彫金や象嵌などの細工を施す工芸品のことです。
戦がなくなった江戸時代には、鍔・縁頭・目貫・小柄・笄などに優れた作品が残され、まさに刀装金工の最盛期を迎えます。
その後、明治に入り廃刀令や時代の流れに伴い、後に帝室技芸員に選ばれることとなる加納夏雄・海野勝珉や正阿弥勝義などの人気を博した刀装金工師たちは、刀装具以外の制作を始めることとなります。香炉・花瓶・蓋物・置物など、暮らしに密着した新たな工芸品を生み出し、金工師たちの高度な技術と表現力を活かした意匠は、海を超え世界中の博覧会で称賛を浴び、多くのコレクターたちを圧倒させました。
その後、日本の工業化が進むにつれて、並外れた技巧による作品は影を潜めるようになります。
明治金工は、わずか30年余りの短い間に作られた稀少な美術品として、近代美術史に存在しています。
金工を愛したガラス工芸家
世界有数の宝飾商でありアール・ヌーヴォーを牽引したルイス・C・ティファニーは、日本の刀装具のコレクターであったことでも知られています。江戸時代の刀装具はメトロポリタン美術館に寄贈されるほど価値のあるものでした。
提物 – Ornaments –
提げ物とは、喫煙具などを便利に携帯できるように作られた様々な道具のことで、装身具とも言われます。主に印籠・根付・煙草入れなどを指します。
もともと提げ物は、男性を中心として室町時代頃から存在していましたが、江戸時代に入り太平の世が長く続いたことで、文化・文政期に燗熟期を迎え装身具の技術は頂点に達しました。
徳川将軍家御用印籠蒔絵師の梶川家や古満家をはじめとする、多くの印籠蒔絵師が活躍したこの時代に、各地の大名や町人たちは、これらの小さな装身具に大枚をはたき胸踊らせました。
更に根付に至っては京都正直・為隆・谷斎・森田藻己・懐玉斎などの名工をはじめとし、全国各地で趣向を凝らした、細密かつユーモア溢れる作品が生み出されました。
その後、明治時代になると生活様式の変化とともに、実用性よりも、優美さをもとめた意匠に変遷を遂げ、江戸時代には刀装具の制作者であった、加納夏雄・海野勝珉・香川勝廣など、後に東京美術学校(現・東京藝術大学)教授となる彼らも、明治時代に入ると前金具や緒締めなど冠たる芸術作品を世に残しました。
更に明治期には、喫煙具の流行が提げ煙草入れから腰差し煙草入れへ移行したため、明治を代表する工芸作家、高村光雲・鈴木東谷・尾崎谷斎・石川光明・白山松哉・加納鐵哉・是真・泰真など著名作家の作品も見ることができます。
提げ物は、素材や技法など様々な工芸の要素を兼ね備えており、類稀なる細密工藝として世界の多くの蒐集家たちを驚かせました。現在でも大英博物館やボストン美術館をはじめとする多くの美術館などで注目されています。 我々は今こそ江戸・明治文化の粋ともいえる提げ物を改めて見直すときではないでしょうか。
漆芸 – Lacquerware –
芸術の発展が著しかった時代
日本の漆器の起源は、古くは縄文時代にまで遡る。しかし、完成された形の漆器が登場するのは飛鳥・奈良時代以降のことで、平安時代にかけて蒔絵の技術が確立され、日本の漆芸は独自の風格をあらわすようになった。
その後、鎌倉時代になると「高蒔絵」の技法が発展し、室町時代を経て江戸時代には、尾形光琳や小川破笠という天才的な工芸家が現れたことによって、それまで一つの群体に過ぎなかった工芸が、個人の芸術の境地にまで高められるようになった。
西洋の文化が新たな発想へ
明治時代の漆芸は、江戸時代以来の様々な技術を継承した物であったが、題材を選定する時点で、従来の考え方とは大きく異なっていた。この時代の蒔絵などの高級漆芸品は国内でその市場を失ってしまったため、漆芸家たちは海外へその活路を見出して行った。
特に西ヨーロッパ市場での認知度を上げるため、積極的に世界規模の万国博覧会などへ参加したほか、題材においても古い伝統からの脱却を図り、新たな発想を持つようになった。
漆芸が注目の的に
1890年(明治23)から1944年(明治19)まで行われた13回の「帝室技芸員」の任命のうち、漆芸からは柴田是真とその弟子の池田泰真、川之辺一朝・白山松哉の四人がその栄誉に輝いた。
これらの緻密な工芸美術の制作には、常に年単位の時間や手間がかかるため、産業革命のうねりの中で、伝統技術の継承は大きな危機にさらされていた。こうした状況の中で、彼らの作品はますます重要さを増し、多くの人々の関心を呼び覚ますことになった。
その他 – Others –
骨董品には「100年を経過した手工芸品・工芸品・美術品」という定義があります
一見ガラクタのように見えるものでも、希少性や歴史的価値を宿しています。
和乃蔵では様々な骨董品を収蔵・展示しています。量産されることなく、この世に一点だけのものが多いのも骨董品の特徴。写真だけでは魅力が伝わらないかと思われます。気になる方はお気軽にご連絡ください。